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日本酒の発祥~酒造りの源流へタイムスリップ①~
はじめまして、内橋です。地方創生が話題となっている中、昨今テレビや新聞の紙面などで“〇〇の発祥地”という言葉が見受けられます。そこで、歴史フェチ内橋から日本酒造り発祥をキーワードに「古事記」「日本書紀」「風土記」など、日本の古代を知ることのできる書物の中の日本酒を紐解き、日本酒造りの源流を紹介します。
まずは古代の書物の中でも、最初に「風土記」を取り上げますが、その理由は「風土記」が古代日本列島のそれぞれの国で編まれ、その土地の謂れ、その土地に生きている動植物、その土地で語られていた神話などなど貴重な情報が読み取れることができるからです。
≪一話:風土記の世界の日本酒造り≫
風土記は、奈良時代713年に元明天皇の詔(みことのり)を受け、当時60余りあった国々が作成した地誌の総称です。まとまった形で今でも写本として内容が残っているのは“出雲”、“常陸(茨城)”、“播磨(兵庫南西部)”、“肥前(佐賀・長崎)”、“豊後(大分)”の5国分です。
天平5年(733年)2月20日の日付のある『出雲国風土記』は、唯一完全な形で残り、ほかに『大隅国風土記』(鹿児島)など約30国分が逸文として残っているのみだそうです。
その中で、『大隅国風土記』『播磨国風土記』『出雲国風土記』の3点に酒造りの記述があり、第一弾として『大隅国風土記』の記述を紹介します。
もっとも、アルコール分を含む飲み物が日本に存在していた事を示す書物としては、1世紀ごろの中国の思想書「論衡(ろんこう)」や3世紀ごろの「魏志倭人伝」などがあると言われています。
しかし、これらは中国の書物でありますし、その中には具体的な酒造りの方法やお酒の原料が記されてはいないため、上記の風土記が日本における日本の酒造りの源流を記した書物であると考えることもできると思います。
第一弾の『大隅国風土記』に記されている酒の造り方は、昨年大ヒットした“君の名は”でも登場した「口噛みの酒」です。書物には以下のような記述がなされています。
“大隅国では、一軒の家に水と米とを用意して村中に知らせてまわり、男と女が一か所に集まって米を噛んでは酒船にはき出して帰る。酒が発酵して香りがついてくる頃にまた集まり、その人たちで飲み、この酒を口噛みの酒と呼ぶ。”(現代語訳)
ここで言う「口噛みの酒」は、デンプンの持つ食物を人の唾液中のデンプン分解酵素でアミラーゼ糖に分解し、その糖を米に付着していた酵母菌によりアルコール発酵させて酒を造る方法です。
この醸造方法は、もっとも原始的な醸造方法の一つでもあり、東アジアから南太平洋、中南米という広い範囲に分布していたと言われています。
ちなみに、酒を造ることを「醸す」といいますが、一説にはこの語源はこの「口噛みの酒」の「噛む」からきているとも言われているようです。
この「口噛みの酒」は、南方より稲作の伝播とともに古代日本に渡来した酒造り方式で、歴史的には縄文時代後期に伝わったと考えられています。
いかがだったでしょうか。次回は『播磨国風土記』について紹介しますので、ぜひ楽しみにしていてください。
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