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2017/08/30
こんにちは、内橋です。前回までの「風土記(ふどき)の世界の日本酒造り」に引き続き、今回は「古事記」の世界の日本酒造りについて紹介します。
≪第2話「古事記」の世界の酒造り≫
「古事記」は、712年(和銅5年)、元明天皇の命を受けた太安万侶(おおのやすまろ)が、稗田阿礼(ひえだのあれい)が暗唱していた「帝紀」(天皇の系譜)、「旧辞」(古い伝承)を基礎に書物としてまとめたもので、現存する最古の歴史書と言われています。
古事記の原本は現存せず、幾つかの写本が伝わっており、最古の写本は、名古屋市中区の大須観音にある真福寺文庫所蔵の国宝「古事記」です。上巻は「高天原神話」「出雲神話」「日向神話」という三つロマン溢れる神代の物語で構成されています。
それでは「古事記」の世界の酒造りです。
神代の物語の三分の一が「出雲神話」であり、そのなかで、スサノオノミコトのヤマ
タノオロチ退治の記述で太古の酒造りの話が出てきます。
“そこで、速須佐之男命は、すぐにその少女を神聖な爪櫛に変えてみずらに挿し、足
名椎・手名椎神に、「あなたたちは、何度も繰り返して醸した強い酒を造り、また垣を
作って廻らし、その垣に八つの門を作り、門ごとに八つの桟敷を作り、その桟敷ごとに酒漕を置いて,槽ごとにその強い酒を満たして待っていなさい」と言った。
そこで、足名椎・手名椎は言われた通り、そのように準備して待っている時に、かのやまたのおろちが、本当に言ったとおりにやって来た。おろちはすぐに、酒槽ごとにそれぞれの頭を垂しいれて、その酒を飲んだ。そして酒を飲んで酔い、その場で伏せて寝てしまった。”(スサノオのヤマタノオロチ退治の段より現代語訳分)
こちらの記述より、果実酒を八甕(たくさんのかめ)一杯に造らせたものと推察できます。
いかがでしたでしょうか?
次回は清酒発祥の地についてご紹介します。ぜひ楽しみにしていてください。
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株式会社小林順蔵商店さんの投稿 2017年8月29日